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■2011年07月19日(火)23:01  MY WAY(29)“新たなる旅立ち〜沼田伝説再始動〜(1)”
1999年3月、市立美鈴が丘高校勤続11年が終わろうとしていた矢先、その衝撃的な知らせは届いた。

元来自分の勤務先についてはどこの学校でもやっていける、というかやらざるを得ないと考えていた私は“転勤希望”を出したことがない。もちろん配転希望は転勤せざるを得ない一身上の事由により出されるもので通常安易に出すべきものでもない。

市立高校の教職員の場合、特定の教員が一校に長期にわたって勤務する、いわゆる膠着人事となることを避ける狙いから、最近は約5年を目安に各校への人配を見直すという方針が出されている。

とはいっても、1校に一人しかいない音楽教師(市立全高校で専任は6名)の配置転換は他教科のように簡単には決定できない現実もある。中でも校務分掌や研究組織の事務局など、さらにはクラブ活動上の様々な事情など、特定の人物が必要とされる場合もある。

専任が6人しかいないということは、2校間での交換人事を避ければ最低でも3校の教員が同時に異動することになり、市立高校音楽組織全体に大きな影響もある。いつまでも同じ高校にいることは出来ないと知りつつも、なかなか現実味を持って自分の異動をイメージできない状況ではあった。

さらにはこれまで3校連続で“新設開校による転勤”という、ある意味特殊な経歴を辿ってきた私にとって、突然の(11年間勤続して突然もないのだが)転勤の辞令はまさに“青天の霹靂”ともいえるイメージで私に伝わった。さらには転勤先が“前任校”という通常ではあり得ない形の人事であったこともその衝撃を倍増させていた。

市教委にとっても様々な事情があっての配転だったとは思うが、私にとっては他校に転勤するよりは、自宅のある安佐地区でもあり、通い慣れた沼田高校再任には若干ほっとする気持ちもあった。

3年前長男が沼田高校を卒業したことも含め、自分にとってもっとも印象深く多くの恩義を感じている学校でもあり、私にとってはある意味区切りの付いた転勤と言えなくもなかった。

衝撃的でもあったがある予感もあった。その年の1月市総文の反省会でのこと、当時の沼田高校のT校長先生としばらく歓談をする機会があった。T先生は私が中学教員時代には教職員課の管理主事で、沼田高校開校時の人事面接などでお世話になった。その後教育センター所長や学校教育部長を歴任され、沼田高校校長として赴任されていた。普段は“雲の上の人”で会話することなどほとんどなかったが、なぜかこの日はT先生の方からわざわざ声をかけてくださり、色々と励ましのお言葉を頂いた。ご退職された今では知るよしもないが、このとき既に水面下で私の転勤が決まっていたのかもしれない。

4月。沼田高校に再赴任しいよいよ新生活が始まった。沼田高校はそれまで私の後任として江波中学校からK先生が来られ、11年間にわたって勤務されていた。彼とは中学教師の時代から様々な形で関わりがあり、誠実熱心な指導で長男も心から尊敬し、公私共々大変お世話になった先生である。

K先生は私と入れ替わりに舟入高校に行かれ現在も勤務されているが、師弟同行・率先垂範を地でいく熱心な先生で何事にもいい加減な私とは好対照の教師である。私が沼田高校に戻ってまず感じたことは、この11年間のK先生の誠実な仕事ぶりだった。



  
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■2011年07月21日(木)  MY WAY(29)“新たなる旅立ち〜沼田伝説 再始動〜(2)
白亜の新校舎で真新しい楽器に囲まれていた沼田高校の音楽室。あれからもう11年間が過ぎていた。私は“浦島太郎”よろしく、やや貫禄が付いていたるところにカビの生えた階段を4階まで。

沼田の準備室に入ったのは何年ぶりだっただろう。長いブランクを経た音楽教室と音楽準備室の印象は意外にも“きれい”だった。私がその昔揃えた楽器や備品類はほぼ現状で使用できる状態にきちんと整備され、K先生の管理の良さを伺わせた。

驚いたことに11年前私が残していったソファがそのままの位置に置いてあり、机や機器類もほとんど配置が換わっていない状態で私を待っていた。まるで私が戻ることを予期していたかのような準備室の風景にタイムスリップしたような錯覚があった。

これまでの転勤ではまず同僚との人間関係を作るという仕事があったのだが、沼田高校の職員集団はとても気さくでどの先生も私を温かく迎えてくださった。教師や生徒に“校歌の作曲者”という親近感があったかどうかは分からないが、我が家に出戻りした子供のようなある種の安心感があった。

始業式では11年ぶりに沼田高校の校歌を聴いた。校歌斉唱になり、ピアノ伴奏の録音が流れ、胸が熱くなる懐かしさとともにその曲のテンポの速さに唖然とした。私が沼田に戻っての最初の仕事は校歌のテンポ修正だった(笑)

もともとこの曲は初代校長のA先生の詩をもとに私と国語のS先生との共同作業から生まれた。儀式用にはゆっくり、体育祭やスポーツ応援などのときには少し早めに演奏していたが、始業式で聞いた校歌はそのどれよりも早かったのだ。早速入学式では少しゆっくり演奏したが、11年間のあいだに少しずつテンポが上がっていった事が伺われた。

校歌というものはよほどのことがない限り、未来永劫にわたって歌い継がれるもので、出来ることならいつまでも作品としての美しさを保てることが重要だと思う。そこで私が考えたことは近いうちに校歌の正式な音源を作ることだった。出来れば在校生や卒業生にもCDにプリントしたものを持たせて、いつまでもイメージが変わらないようになればと考えた。

私は連続で新設校に赴任したため、3曲の校歌を作曲する栄誉に恵まれたが、校歌としての完成度や学校を讃える“格調”には責任も感じている。3曲のなかでも沼田高校の校歌は私にとって特別の思い入れがあった。

校歌は詩で決まる。詩の持つ“韻”や“語調”がメロディを生み出す。文語体と現代詩では全く異なったイメージで作曲作業が推移する。沼田高校の校歌はA校長の作詞を前述のS先生のセンスでかなり現代的な語調で一気に書き上げられている。当初詩が長く、もっと多くの行数があったのだが校長やS先生にお願いしてかなり削除していただいた。なかでも“沼田高校”という結語を使わず“若き生命(いのち)”としたあたりには私の我がままも通していただいた。 

この清冽な詩にマッチする現代的なメロディは歌い方ひとつで軽薄にも陳腐なものにもなる。手前味噌になるがこの校歌、心を込めて真摯な気持ちで歌えばかなり感動的な歌になる。転勤の関係で私の作曲した校歌3曲を全て歌われた先生方が口を揃えて言われることは、「沼田の校歌だけはちょっと違いますね」という感想。

第3者として校歌を鑑賞すれば優劣はあるだろうが、元来校歌は好き嫌いでは選べない。生徒の誰もが母校の象徴として歌うわけで、まさに生徒にとっての“青春のBGM”なのである。


  

  

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