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■2006年05月01日(月)  MY WAY(18)“「吹奏楽」との再会〜安西中の8年間 Part1 〜”
中学生のとき迷い込んだ吹奏楽の世界。それまでの私の音楽は声を出して「歌う」ということしかなかったのだが、楽器という媒体を通して、表現するというもどかしさや困難さと引き換えに、やっとのことで得られる満足感はことばではなかなか表現し難い。

なんとなく音楽教師となり、生徒に音楽を教える立場になった時、果たして私の感じた演奏の喜びや感動をどういう形で生徒に伝えられるのかという漠然とした不安があった。音楽の教師になったということで、やがては吹奏楽の世界にも触れることになるとは感じてはいたが、思わぬ形でバンドを編成することとなった。それも70年代当時としては贅沢としか言いようのない本格的なシンフォニックバンドであった。吹奏楽連盟の会長校である安西中学校吹奏楽部は、広島を代表するバンドになるために誕生したといっても過言ではなかった。校長の熱意と地域の理解、真新しく素晴らしい設備、足りないものは、他ならない私の「覚悟」だけだった。

音楽には幼い頃から存分に接してきたが、その出来栄えを人と競うという価値観で音楽を捉えたことはあまりなかった。吹奏楽コンクールには高校時代から何度か出場もしたが、私のいたバンドは勝つか負けるかを問題にするようなバンドではなかった。なにより私と吹奏楽との出逢いを作ってくれた中学校の恩師がアンチ・コンクールの権化のような人だったために、音楽を競争の道具にすることには何となく抵抗があった。その私がいつの間にかコンクールの世界に胸まで浸かることになるのだから人生は分からない。

校長は私にコンクールに勝つことまでは要求しなかったが、全国の色々な場所に視察に行くことを勧めてくれた。この何度かの行脚で私は吹奏楽の素晴らしさとその存在価値に再び目覚めることとなった。

最初に視察に出かけたのは大学時代を過ごした馴染みの深い東京だった。「東京都豊島区立第十中学校」ここで私は素晴らしい先生と出会うことになる。昭和52年当時、豊島十中は全国大会でもナンバーワンクラスの吹奏楽団で現全日本吹奏楽連盟理事長の酒井正幸先生が現役で勤めておられた。

十中に酒井先生を訪ねたとき、先生は初対面の私に実に様々なことを教えてくださった。先生の指導は実に丁寧で威圧的でもなく、短時間の練習(五時完全下校、土日は休み)で生徒にわかりやすく指導するために実に様々な工夫をしておられた。なんと音楽教官室に放送設備があり、マイクで数カ所の練習場所にいる部員たちに指示を出したり、4度音程の半音階下降という独特のチューニング法や自分の設計したオルガンで純正調の和声を指導しておられた。後にこのオルガンは「ハーモニーディレクター」としてヤマハから全国発売され、現在はどこの学校にも必ず1台はある。実は音楽の授業でお馴染みのリコーダーも酒井先生たちのグループが日本に導入したものだ。

私はこのとき指導者には創意工夫が必要なことを痛感した。酒井先生とはその後も安西中にお出でいただいて講習会を開いていただいたり、様々な機会にお会いしてご指導を仰いでいる。過去に心臓病で倒れられたこともあり、お体に十分留意され、今後も日本の吹奏楽界を牽引されることを願っている。ただ、最近お会いしたときにはいつも引退の話題になるのだが、先生が郷里の長崎に腰を落ち着けて悠々自適の暮らしをされるのはいつのことになるのだろうか。

その後酒井先生の紹介で兵庫県西宮市の今津中に得津武史先生を訪ねた。得津先生は全国大会で金賞15回受賞というすごい記録の持ち主で、当時吹奏楽の世界では酒井先生と双璧の存在だった。得津先生は戦時中の軍楽隊上がりで超スパルタ先生と聞いていたのだが、実際にお逢いすると、とても心の優しい先生だった。ジャズやポップスも得意で吹奏楽でカッコよく演奏するコツをいろいろと学んだ。当時好評だった安西中のポップスのスタイルは得津先生の存在なくしては語れない。確かに関西弁で口は乱暴だし、テンプラ棒を持って指揮台がすり減るほど叩く指導法も酒井先生とは対照的だったが、生徒に慕われ尊敬される素晴らしい先生だった。

得津先生との出逢いで特に記憶に残っているのは、今津中が吹奏楽コンクールに欠場された年に今津中吹奏楽部に広島まで来ていただき、安西中とのジョイントコンサートを開催したことだ。全国金賞バンドの迫力と関西サウンドの美しさに度肝を抜かれたことを思い出す。

また得津先生の創られる音楽の美しさにはいつも心を奪われた。当時普門館で聞いた今津中の「ダッタン人の踊り」が忘れられず、今津用スペシャルアレンジの楽譜を無理矢理貸していただいた上に、安西中までわざわざお出でいただいて直接指導を受けたことも懐かしい思い出だ。この年、安西中の「ダッタン人」は中国大会で初めて金賞を受賞することとなった。

残念ながら退職後しばらくして他界されたが、一生私の記憶に残る名伯楽である。今も関西のバンドを聞く度に得津先生のしわがれた声と指揮を思い出す。
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  • ablzzycz(2012/05/01 18:13)
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■2006年05月03日(水)  “20th Anniversary”in アステールプラザ
恒例の「定演」が終了しました。今回はホームページでも紹介しましたように“ADVENTURE・WITH・NUMATA”をテーマにゲストには「広島北ジュニア・ウィンド・オーケストラ」を編成し、安佐地区の中学校6校の合同バンドで出演していただきました。

これまでは ステージドリル → ゲスト → 座奏 という順序で構成しておりましたが、なんと今回は座奏とドリルを入れ替えてドリルでフィナーレという構成に変えることになりました。ちょっと戸惑いはありましたが、終わってみて結局この方が全体の流れがよいことがわかりました。

昨年もそうでしたが広島の連休はどういう訳か雨が多く、今年も直前まで心配しましたが、何とか晴れてくれて本当に安心しました。受付や駐車場係のOB諸君もよく頑張ってくれて、多くのお客様を何とか無事にお迎えしてくれたことを感謝しています。ただ、駐車場にしても客席にしても、限られたスペースしかなく、駐車待ちや立ち見などで心ならずも多くのお客様にご不便をおかけしたことは頭の痛い課題となりました。

今回の観客数は受付での正式カウントで874名でした。ゲストの出演者やスタッフも一部は会場に入場しましたので、実際には900人を越す観客になったようです。もともと安佐南区民文化センター収容人数は700人ですので、今回も立ち見が多くご不便をおかけしましたことを心よりお詫び申し上げます。

今回の演奏会のアンケートにも、もっと大きな会場での開催を望む声が多く寄せられておりました。そこで次回の「第20回記念定期演奏会」は広島アステールプラザ 大ホールでの開催を予定しております。このホールはフルオーケストラをバックにした本格的なバレエやオペラ、演劇、ミュージカルなどが上演できる間口16m、奥行20mの舞台を備え、同じくらいの広さを持つ袖舞台があり、ドリルなどの舞台転換もより簡単に行えます。さらに前舞台(オーケストラピットにも)も増設でき、音楽と一体化した舞台表現のための施設です。客席も1,204席あります。まさに沼田高校の定期演奏会にはぴったりの条件を備えたホールといえるでしょう。

使い慣れた地元の会場から市街中心地のホールに移動することには、一抹の不安もありますが、一人でも多くのお客様にご満足頂けるよう、今後1年間NUMATAサウンドによりいっそうの磨きをかけてUPしたいと思います。内容はまだ何も決まっておりませんが、下記の日程で開催予定しております。どうぞご期待下さい。

■日 時 平成19年(2007年)4月30日(祝) 16:00開演(予定)

■ところ 広島市文化財団 アステールプラザ 大ホール
     広島市中区加古町4-17
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